切っても切り離せない仏教と明かり、照明技術の活用で寺の在り方と伝道の幅が広がる
切っても切り離せない仏教と明かり、照明技術の活用で寺の在り方と伝道の幅が広がる
お坊さん=仏事という固定観念の枠を超えて仏教の豊かな可能性を求める20-30 代の僧侶達と彼らが発刊するフリーペーパー「フリースタイルな僧侶たち(#.以下フリスタ)」。DNLは2019 年秋、このフリスタ編集部とともに「お寺の明かりを考えるプロジェクト」をスタートしました。当プロジェクトの第一弾の主な成果として、DNLの器具を使って大阪ミナミの三津寺の本堂の照明を改善した事例が挙げられます。
そこで今回、三津寺の加賀副住職に照明実験を行う前の悩みや課題、そして照明を改善してみてどうだったかを取材しました。第一回目は、お寺の照明に関する具体的な課題や悩みについてお話を伺いました。
#.発刊部数:毎号1 万5000 以上。Web マガジンや主催イベントも多数展開。https://freemonk.net/
三津寺
副住職 加賀俊裕氏
目次
1.商いの街大阪ミナミで1200年以上連綿と親しまれる「三津寺」
2.ロウソクから電灯、LEDへ技術革新が求められる”明かり”の位置付け
3.いつくるかわからない人生の壁に備え、仏教の教えを学べる寺子屋の様でありたい
1. 商いの街大阪ミナミで1200年以上連綿と親しまれる「三津寺」
Q)まず最初に三津寺について、教えてください。
A)七宝山大福院三津寺(しっぽうざんだいふくいんみつてら)は、応神天皇を葬り奉った御墓所として、奈良時代の名僧・行基菩薩が楠を植えたのを始まりとし、のちに聖武天皇の勅命によって天平16 年(744 年)に行基菩薩が十一面観世音菩薩を安置した本堂を創建したことをもって開山とされています。また、七宝山という山号は、小松宮さまがお寺をご訪問された際に下賜されたものであります。現在の本堂は、徳川時代末期文化5 年(1808 年)に再建された建物であり、本尊の十一面観世音菩薩が中央に、脇には薬師如来・弘法大師が安置されています。
この本堂は、昭和20 年のB29 による大空襲によって大阪市内が一面焼け野原と化したにもかかわらず、本尊の加護厚く、被弾はおろか、類焼さえも免れました。三津寺の南東約徒歩5 分の千日前には、松林庵(三津寺千日前墓地)があります。ここには、道頓堀を開削したとされる安井道頓や、浄瑠璃「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)で有名な三勝・半七の供養塔など、船場の著名商人や上方芸人の墓碑が数多く祀られていて、年中香煙の絶える間がありません。
三津寺筋というと大阪ミナミを代表する日本有数の歓楽街であるが、その中にあって別世界のような幽玄さ・閑静さを感じさせる三津寺は、「ミナミの観音さん」「みってらさん」の愛称で都会に住む人々に親しまれております。
2.ロウソクから電灯、LEDへ技術革新が求められる"明かり”の位置付け
Q)お寺の明かりを考えるプロジェクトについてお聞かせください。(仏教と照明の関係、期待することなど)
A) お釈迦様の教えに「自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)」という言葉があります。暗闇の中で、ともしびの明かりを頼りとするように、自らをともしびとし、よりどころとする。同時に、仏の教え(法)をともしびとし、よりどころとしなさいという教えのことです。この言葉にもあるように、仏教が生まれた2500 年前から、仏教と明かりは切っても切り離せない関係にあります。そして現在も、光は灯明やロウソクの明かりから、電灯・LED・プロジェクションマッピングなど、技術革新によってそのバリエーションを増やしながら、僧侶やお寺の仏教伝道の幅を広げてくれています。しかしながら、私たちの周りにはあまりにも当たり前に明かりがあふれており、ともすると「ただ明るく」「ただきらびやかに」を求め、仏教が明かりに求めていた本来の意味を忘れてしまいがちです。そんなとき、DN ライティング株式会社様とご縁をいただき、照明デザイナー吉野弘恵(よしのひろやす)氏のお力添えにより、もう一度、お寺・僧侶・参拝者が求める明かりについて考えてみようという、「お寺の明かりプロジェクト」が始まりました。
お寺は参拝者にとって仏教実践・体感の場です。プロジェクトでは、明かりの可能性について学びながら、参拝者にどのような体験をしてもらうのかを検討し、最新の照明機器も使いながら、お寺の可能性を明かりがどう広げていけるかについて実験していければと思います。阿弥陀如来様から感じる優しく包まれるような明かり、密教寺院のお勤めを荘厳する神秘的な明かり、寺宝展で長い歴史歩んできた仏像や仏画の色合いを正確に表現するための明かり、四季折々自然の美あふれた参道を照らす明かり。お寺の明かりは宗派や御本尊様、行事や僧侶の思いによって千差万別です。
3.いつくるかわからない人生の壁に備え、仏教の教えを学べる寺子屋の様で在りたい
Q)副住職が考えるこれからのお寺の在り方についてお聞かせください。
A) 様々なもの・ことに追いかけられ、また、日々変わる価値観と比較される毎日の中で、仏様が持つ絶対的な物差しを自分に添えることで自分の現状を見つめ、時には進む方向性にアドバイスをもらう。そんな人生と伴走できるお寺でありたいと思っています。大切な人を失ったお葬式や先祖の法事だけのお付き合いでなく、いい人との出会いを決心する良縁祈願や新しい門出を祝う結婚式、子供を授かれば安産祈願や子供の成長や仕事の成功を願う様々なご祈祷など。人生には様々な節目があります。そのような節目に心の整理のお手伝いをする。また、いつくるかわからない人生の壁に備え、日常的に仏教の教えを学ぶそんな寺子屋のような役割も持つことができればと考えます。
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