信仰文化の拠点として、人々と心を通わせる 新しい、時代に即したお寺のかたち
信仰文化の拠点として、人々と心を通わせる新しい、時代に即したお寺のかたち
京都駅からほど近い八条坊門町にある浄土宗龍岸寺。そのウェブサイト(https://ryuganji.jp/)を見ると飛び込んでくるのは笑顔の写真、そして「一緒にツクろう 新しいお寺のかたち」の文字。ほかにもトップページには「超十夜祭」「You Tubeチャンネル 龍岸寺ナムナムTV」そして「1日仏像彫刻教室」「釈迦モーニング」「冥土カフェぴゅあらんど」などなど……およそ京都のお寺のイメージとは一線を画した明るく楽しい雰囲気をもつ龍岸寺だが、その歴史は江戸時代、1616年に遡る。400年以上の歴史をもつ由緒あるお寺が、「お寺こそ、日本人の信仰文化の拠点!」という信念のもと、新しい、時代にあったお寺のかたちを模索している。親しみやすく仏教と触れ合えるその取り組みと、ライティングを含めた本堂のあり方について、配信サービスやSNSを使いこなす次世代の住職、第二十四世・池口龍法住職にお話を伺った。
目次
1.龍岸寺の歴史
2.歌舞音曲もアートも、人々の心を幸せにする
3.近所の人が使う、開かれた本堂を作るために
4.気持ちよくお参りできる空間のための照明
5.照明や音響も、漆や金箔にお金をかけるのと同じバランスで
6.貴重な仏教美術品を見せるという観点
7.コロナ時代のお寺のあり方とは
8.人々を受け入れ、心の支えになるお寺を
1.龍岸寺の歴史
1616年、大坂の陣が終わって徳川家康についていた安井三哲(源蓮社長誉三哲和尚)が京都に入り、京都に屋敷をもらったのがこの場所でした。当時は普通のお屋敷だったけれど、囲碁打ちであった三哲は、得度(僧侶となるための出家の儀式)をすると将軍の前で囲碁を打つことができることから出家をしたそうです。当時囲碁打ちで得度をする人は多く、出家者としての顔もある。初代はそういう人でした。
この三哲の長子が渋川春海。この人は天文学者で、日本で初めて貞享暦(じょうきょうれき)というものを作りました。春海も囲碁を打っていましたが天文学に秀でていて、この暦が幕府に認められた春海は、そのまま幕府の天文方として江戸へ移り住んでいきました。それが1684年(貞享元年)。そのあとこの屋敷がお寺になったということです。つまりその頃この本堂が作られ、以来330年、お寺として整備されてきたというのがかいつまんだ歴史です。
天文学も、今でいうと星座の配置や星の研究、プラネタリウムなどを想像しますが、昔の天文学は暦をはじめ、宇宙全体の構造や現実世界の構造などと結びついていて、たとえば月食のときは不吉なことが起こるなど、占星術的な面をもっていました。天災などの予測に結び付くということで徳川に雇われている人もいましたし、幅広い分野で力を持っていたのではないかと思われます。
2.歌舞音曲もアートも、人々の心を幸せにする
そのように長い歴史をもつ龍岸寺ですが、私は本堂というのものはいろいろな使い方ができる場所だと常々思っていました。いろいろなシーンで使いやすい環境を整えれば、単に法事だけのスペースにとどまらないさまざまな使い方ができる。
そこで2016年、龍岸寺開創400周年の節目に、檀家さんや信徒の皆さんにご寄付をお願いし、屋根の葺き替えやさまざまな設備の整備に取り組みました。その際、何人もの専門家に相談し、今後どれだけ多目的にお寺を使用できるかについて考え抜きました。伝統的な法要を厳かに行うことはもちろんですが、京都駅からのアクセスの良さと、以前からライブやイベントを行いたいという申し込みがあり、そういうニーズにも応えていきたいと思ったのです。
アーティストの中にはお寺の雰囲気の中でライブやイベントをやりたいと考えている人がいるのですが、設備がないことから断念することも多いし、本堂で歌うなどけしからん、という考えのお寺も多い。私は、法要だけでなく多目的にお寺を活用できる環境を作りたいと思っていましたので、こうした設備を整え、イベントやライブも受け入れることにしたのです。
仏教には歌舞音曲を禁じる項目もありますし、できるだけシンプルな生活の中で自らの心の本質を見つめる、というのが仏教の基本的なスタンスです。しかし、シンプルな生活を説くだけではリーチできる範囲は狭まってしまいます。歌舞音曲やアート活動というのは、うまく用いれば人々の心を幸せにします。仏典のなかには工巧明(くぎょうみょう)といって、いわゆるアート活動を布教の方法として取り入れるものもありますし、多くの人々の苦しみを解決するために、アート活動を取り入れていくのは悪いことではありません。
日本にある無数のお寺には日本文化のエッセンスが詰まっていて、それは素晴らしいアート空間でもあります。この方向でお寺が活性化していけばいい、そういう思いが根底にあるのです。
3.近所の人が使う、開かれた本堂を作るために
法事以外では、ライブももちろんありますし、地域の地蔵盆もここでやります。地蔵盆はいつも民家でやっていたんですが、今年は密を避けるためにお寺の本堂を使いたいということで、ここで行いました。地域の一般的な家だと客間や仏間はありませんから、本堂はちょうどいいスペースです。
梁に入れてもらった間接照明は、調光できるようにしてもらいました。何をやりたいか、ということもあるけれど、このお寺を地域の人に使ってもらいやすい場所にしたいのです。音響も、単に法事の時に読経が綺麗に聞こえるだけでなく、ライブでも使いやすいように考えました。
地域のお寺が使いやすく運営されていると人が集まってきますし、本来本堂はそういう場所であるべきではないかと思っています。本堂に業務用のWi-Fiも入っていますし、ゆくゆくはコワーキングスペースとしての使い方なども考えています。
実際、知り合いがここで3~4日プログラミングのブートキャンプをやりました。岩手県で町おこしとしてやっていたものを受け継いで開催したものですが、プログラミングの合間に気分転換として坐禅をやったりして。座敷でプログラミングをやって、気分転換の坐禅は本堂で。2月の前半ごろ、DNLさんの照明工事がまだ終わってない頃です。
4.気持ちよくお参りできる空間のための照明
整備をする前の本堂は、むきだしの長い蛍光灯がぶら下がっているような状態でした。しかし蛍光灯の、寒色系のライトでは仏様が映えないんです。もともと照明はなかったのかもしれませんが、その蛍光灯を見て、今はLEDでいろいろな色が出せるのだから、本来の金の美しさが出るようなライティングをしたほうがいい、と思いました。
天井が高いので蛍光灯の交換もなかなかしんどいし、せっかくなので開祖400年のタイミングで照明器具を全部入れ替えようと思い立ったのです。
LEDにするのに当たって、阿弥陀様の金色が綺麗に出るようにしたい、蛍光灯は暗いので、明るくして訪れる人々に気持ちよくお参りして欲しいという要望をもっていました。本堂の持つ本来の魅力をライティングによって引き出したい、と考えたのです。
長押(なげし)にも、以前から間接照明を入れたいと思っていました。ここに照明を入れたおかげで内陣が明るく見えるようになったのですが、それまでは天井が高いのでなかなか適切なものがなく、DNLさんとのご縁の中で初めてきちんと天井まで明るくできるようなライトを入れてもらえました。これは開祖400年には残念ながら間に合わなかったのですが、天蓋も照らされるので上品な明るさで全体が柔らかく明るくなりました。
ライティングにこだわった現在の本堂。暖かい雰囲気で阿弥陀像の金色が美しい
5.照明や音響も、漆や金箔にお金をかけるのと同じバランスで
坐禅の時はご本尊だけを照らすなど、心が落ち着き、仏教の世界に入っていきやすいライティングを考えました。照明が細かく調光できるようになったのでいろいろ可能になった部分は大きいです。
法事の時は経本を読まなくてはいけないので明るめにしていますが、展示の時はご本尊に注意が行くように周りのライトを落としたり、工夫して使いこなすようにしています。
蛍光灯からLEDに変えた第一段階の頃は、変化がよくわかったので明るくなったし気持ちが落ち着くようになったとよく言われました。第二段階はどう変えたかがわかりにくいのですが、法事の時など、何かが違うと言われました。日頃この寺に出入りしているアイドルの子なども含めて、みなさん内陣が明るくなったのは喜んでくださいます。
明るいほうがいいというのが感覚としてありますし、明るい、お上品な本堂だと拝んでいて気持ちいいでしょう。昔は暗い本堂で、空調もなく寒いのに耐えながら正座をして……というようなイメージがありましたが、今はみなさん快適な空間に慣れているので「気持ちよく拝む」というのが時代にもあっていると思います。第一せっかく見どころがいっぱいあるのにライティングを工夫しないのはもったいない。昔からある漆や金箔のグレードにはすごくこだわるのに、照明や音響にこだわる人が少ない。漆や金箔にお金をかけるのと同じように照明や音響にもお金をかけた方が全体としていいものが仕上がるのだからバランスを考えて組み合わせればいいのに、と思います。
6.貴重な仏教美術品を見せるという観点
その点、やはり美術館はきちんと照明によって見せています。そういう世界の人から学んでいくべきだと思います。照明によってお寺の中に気持ちが入るということが実際にありますし、その雰囲気の中で仏教の世界に没入していくことは大事だと思います。たとえば床の間にお軸をかけるというのは決まっていることですが、今までだったら蛍光灯を上から当てるのが当たり前でした。でも下から照らしたり、間接照明を当てたりしてもいいわけです。そうした「綺麗に見ていただくための工夫」を少しずつやっていきたい、と。
そのほか本堂を出たところの縁側にも照明を入れました。常時ライトアップするような庭ではないのと、電源の問題があるので外はまだ照明は入れていないのですが、今後イベントが増えてくるのであれば庭のライティングも考えてもいいかなと思っています。単純に夜、人の出入りがあった時に事故がないようにしなくてはいけないということも含めて、明るくも出せるしほのかに照らすこともできるなんていう照明はあってもいいし、これからの課題の一つですね。
7.新型コロナウイルス感染症(COVID-19)時代のお寺のあり方とは
今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の件を経験して、やはり配信やYou Tubeなどの存在の大きさを感じています。今までお寺の中の人はそういうことをやらなかったので、この機会にもっと出て行ってもいいのかなと思います。法事もzoomでやったり、代理法要などもありますし。「お寺に集まらなくてはいけない」という考えから、これまで遠方のお年寄りなどにとって難しかったことが、配信することで参加可能になる。本来もっと早く取り組むべきだったかもしれません。こうしたことが普通になれば、もっと気軽に参加できるのでは? という期待があります。法要などへの参加の選択肢が増えるというのはとてもいいことですし、東京在住の檀家の方も多いので、法事は別としても常のお彼岸法要などは来られないのが現状です。そういう方々に身近に感じていただくためにも、ライブ配信で見てもらうという取り組みをしなくてはいけない時代が来ているのでは、と思います。今回秋彼岸の模様はライブ配信しましたが、それが自然な流れかなと思っています。
それに加えて、You Tubeをやっている、というとそれだけで身近に感じてくれる若者がとても増えました。そういう試みをしていくことにあたって照明もこだわったほうがいいし、カメラも解像度の良いもので配信したいです。そうやってこだわった分だけ本堂の魅力が画面越しに届くんじゃないかと。
8.人々を受け入れ、心の支えになるお寺を
自粛期間中は一切ライブをやらない、という選択肢もあったんですが、お寺は文化の拠点だと思いますので、ニューノーマルのあり方を考えていく上で、どうやって開くのか、ギリギリのせめぎ合いの中で、やっていった方がいいと結論を出しました。
檀家さんだけじゃなくてライブにくるような若い人たちなど、人々をどう受け入れていくかで、お寺が心の支えになっていけるかどうかが決まってくるのではないかと思うのです。もちろんいつものような頻度ではできないですが、それなりの配慮をしながら続けていきたいと思っています。配信を交えて現場に来る頻度は減るかもしれませんが、こういう機会だからこそ「今、祈りたい」という気持ちをみなさん持っていると思うので、この空間をできるだけ作り続けていきたい、できるだけのことをやりたい、そういう思いで続けていきたいですね。
【この事例で使用された器具】
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